シングルマザーとタレント、二足の草鞋を履いている藤咲凪さん。SNSに自身の写真を投稿したところ「AI画像ではないか?!」と騒ぎになり、一躍有名になりました。ショートドラマ「シンデレラ・コンプレックス」の主演を務めるなど、華やかな世界で輝きを放っていますが、波乱万丈な人生を歩んできたのだとか。そこで今回は、若年層の女性の憧れの的である藤咲凪さんに着目し、旦那さんと離婚した理由や、子供の人数などを調査しました。
藤咲凪が旦那と離婚した理由は?
藤咲凪さんは20歳の時に結婚と出産を経験し、2022年12月頃に旦那さんと離婚しました。離婚の理由は本来の自分と正反対の暮らしを続けることが辛かったため。結婚するまでは東京に拠点を置いてアイドル活動に励んでいましたが、出産を機に地元である北海道に帰省して専業主婦に転向していたのです。育児に追われながら地方都市で生活する日々は、アイドル時代とあまりにもかけ離れており、藤咲凪さんの心の中に鬱憤が溜まったのかもしれません。
藤咲凪の旦那とは…
藤咲凪さんの旦那さんは一般人のため、詳しいプロフィールが公開されていません。インスタグラムで入籍を報告した時のツーショット写真では、お揃いコーデの藤咲凪さんと旦那さんが身体を密着させ、幸せオーラ全開。2人の目元が隠されていたものの、シャープな輪郭や口元が美しい容姿であることを物語っていました。ちなみに、一部のファンの間では「地下アイドル時代の熱心な追っかけと結婚したのではないか」と噂されていますが、出会いのきっかけは謎のベールに包まれたままです。
藤咲凪の子供は何人いるの?
藤咲凪さんの子供は2人。結婚して直ぐに第1子となる長女が、結婚2年目頃に第2子となる次女が誕生しました。結婚生活が3年ほどで破綻し、2人の子供を引き取ってシングルマザーになったのは藤咲凪さんが22歳の時。お金も住む場所もなく、人生のどん底を味わっていたところ、東京でモデルやアイドルの仕事をしていた小野緑さんに「東京に来ない?」と誘われました。子供2人を抱えた状態でやっていけるだろうかと不安があったものの、離婚の約2週間後に上京。決して弱音を吐かない精神力と、フットワークの軽さが発揮されたようです。
藤咲凪の経歴
芸能活動を再開してからは保育園に娘2人を預けて、数々の仕事をこなし、育児と仕事を両立。決して楽ではない生活に嫌気がさしても、子供の存在を原動力に奮闘しています。可憐な容姿からは想像できない胆力で自分の居場所を開拓しようとする藤咲凪さん。一体どのような人生を歩んできたのでしょうか。
藤咲凪の原点
藤咲凪さんは1999年生まれ、北海道帯広市出身。元々、照れ屋で内気な性格だったために自宅から外に出ると声を出せず、最低限の返事と挨拶をすることが精一杯でした。小学1年生から5年生まではクラスメイトと会話ができず、保健室登校を続けていました。そんな状況が変化したのは、小学5年生の頃にダンス教室に通い始めたことがきっかけ。ダンスのレッスンを通じて自然と周囲と交流できるようになり、友達ができました。さらに見違えるほどに明るくなり、学級委員を務めていたそうです。
母親との別れ
ダンス教室に3年ほど通い、さまざまな面で能力を磨き上げる中、母親が永眠。この時、すでに両親が離婚しており、藤咲凪さんは母親に引き取られていたため、心の底から頼れる身近な大人が突然いなくなりました。いいようのない孤独感を抱きながら中学校に通っていたところ、自身の声質を揶揄され、一気に自信を喪失。次第に授業をさぼるようになり、地元の不良グループと遊ぶ日が増えていきました。
高校進学後
不良グループの仲間と一緒に居る時だけ心の隙間が埋まり、安らぎを得られたため、中学2年生の頃からほとんど登校していませんでした。それでも学習塾には真面目に通って勉強に励み、高校に進学。進学後も相変わらず素行不良を続けていましたが、周囲に迷惑をかけているという自覚はあったのでしょう。「必ず高校を卒業する」と家族に約束していました。
素行不良から脱却
心の靄が晴れないまま高校生活を送る中、アニメを見ているうちに心境が変化。自分ならば声優になって活躍できるはずと思い、オーディションへの応募を決めました。そしてオーディション情報を確認していたところ、芸人の田村淳さんによるアイドルプロデュース企画を発見。すぐさま応募して合格し、16歳の頃に地下アイドルグループ「ぶっ壊れRe論:%。」のメンバーになりました。田村淳さんがプロデューサーを務めるのであれば、アイドル活動を通じて自身の知名度が上がり、声優になる機会が巡ってくるのではないかと期待していたのです。
上京してアイドル活動を本格化
グループの活動拠点である東京と、藤咲凪さんの地元である北海道十勝地方の距離は、約1000キロ。物理的にも経済的にも往復が困難でした。そのため仕方なく高校を中退し、17歳の時に東京で暮らす親戚を頼って上京しました。この時に高卒認定試験の受験を家族と約束していたため、ライブに出演するための厳しいレッスンを受けながら、勉強にも精を出していたようです。
亡き母親の思いを胸に
「ライブだけで生きていることを実感できる」「ステージでなければ表現できない思いがある」藤咲凪さんは当初アイドルに興味がなかったものの、活動を続けるうちに特別な感情を抱くようになりました。実は、母親も独身時代は芸能界入りを目指していましたが、妊娠発覚に伴って東京のプロダクションに所属することを諦めたのです。そのような過去があるため、藤咲凪さんは母親の意志を引き継ぎ、必死に東京で爪痕を残そうとしていたのでしょう。
関東で最も可愛い女子高校生に
高校3年生の時には、日本で最も可愛い女子高校生を選ぶ「女子高生ミスコン2017-2018」に応募。大勢の人がいる場所を訪れるのが苦手なため、ミスコン出場期間中は苦難の連続でした。毎週末に開催されていた泊まり込みのレッスンは、蕁麻疹と発熱により早退したこともあったのだとか。それでも藤咲凪さんの儚げな雰囲気が評価され、関東エリアのグランプリに選出されました。さらに全国大会でモデルプレス賞を獲得しましたが、所属していたグループが売れる気配はありませんでした。
バラエティ番組に出演
ミスコン出場から数カ月後の2018年5月に「ぶっ壊れRe論:%。」が活動を無期限休止し、事実上の解散となりました。それに伴い藤咲凪さんは一旦アイドル活動から離脱。しかしミスコンで強烈なインパクトを残したために、バラエティ番組への出演オファーが舞い込んできました。ふだん凛とした表情が印象的な藤咲凪さんですが、番組内では無邪気な笑顔をみせる場面もあり、そのギャップに骨抜きにされる視聴者が続出したようです。
「最終未来少女」結成
2018年8月には、「ぶっ壊れRe論:%。」時代に仲良くなった小野緑さんと合流。それぞれ所属事務所が異なりましたが、2人で活動することを了承してもらいアイドルユニット「最終未来少女」を結成しました。毎日にようにYouTubeで動画を配信していると、音楽性やビジュアルがアイドル好きの間で話題に。次第に観客の前でパフォーマンスする機会が増加し、ライブハウスやカフェのイベントに出演するようになりました。
身も心もボロボロになり帰郷
ヌード・AV・昆虫食、この3つ以外の仕事ならば何でもこなすと覚悟を決め、2018年の秋には「週刊プレイボーイ」で水着グラビアを初めて披露。着実に世間で認知されていく中、声優事務所に所属するという夢が実現しました。しかし活動の方向性の違いにより2カ月ほどで退所。その後、なかなか思い通りにいかない現状への苛立ちから自分自身を傷つけていたところ、妊娠が発覚しました。そして、いっさい迷いなく東京を離れて北海道で専業主婦になったのです。
まとめ
藤咲凪さんは帰郷を機に育児と主婦業に専念するつもりでしたが、23歳の頃に離婚。旦那さんと離婚した詳細を明かしていないものの、結婚している間、本来の自分とは正反対の生活を強いられて辛かったそうです。離婚後は芸能界に復帰してシングルマザーであることを告白し、色々な境遇の人たちに勇気を与える存在となっています。今後の活躍にも目が離せませんね。